決断と徹底

先日取引をさせて頂いている信用金庫様の決算報告会に出席させて頂きました。その際の講演会で、埼玉県内でリサイクル業を行う会社の専務さんの話をお聞きしました。

当初は産業廃棄物の中間処理業として焼却炉を使用した処理を行っていましたが、報道の誤報に基づく環境問題に直面し、地域からも大変な批判にさらされるという、企業としての存立に関わる極めて厳しい状況に直面されました。

その後廃棄物処理業からリサイクル業への業態変更に大きく舵を切り、処理時に発生する粉塵等を一切外部に出さない全天候型の大規模施設を作り、それでも事業に対する批判や偏見に対応するべく、施設内に見学を行う為の通路を増設して多くの人に見てもらうなど、地域の人々やリサイクル業に厳しい目を向ける人々への対応を真摯に行い続けられました。そこからさらに地域の環境保全に努め、現地農産物の地産地消を行うなど、リサイクル業の国内モデル企業としての地位を確立されておられました。

一つの決断を行い、それを実行する過程で多くの社員が去るという辛い経験をされながらも、改革をたゆまず徹底して行った結果として今日の姿に辿り着いたのだと思います。

国旗の変遷

それぞれの国が掲げる国旗はその国を象徴する重要なシンボルとして様々な意匠があります。制定して以降全く変わらなかった国旗があれば、その国の歴史的背景や事情によって変更されたものがあります。オランダ国旗の赤が以前はオレンジだった、またアメリカの星条旗が州の増加に伴い星の数が増やされる(赤と白の縞は独立時の13州の数)、などがその例だと思います。

エチオピアの国旗は緑・黄・赤の横三色旗とその中心に、国章の丸い青の中に光を放つ五芒星をあしらった意匠が今日の姿となっていますが、帝政から社会主義、そして現在の連邦制に至るまでの間、中心に据えられる国章が何度か置き換わっています。

帝政時代は三色旗の中央に皇帝を意味する「ユダヤの獅子」が配されていましたが、帝政の廃止から社会主義への移行の間、ユダヤの獅子に飾られていた王冠が外されたものになり、社会主義・人民民主共和国時代は中心にその時の政体の国章が、社会主義が打倒され暫定政権の誕生時は国章が無い三色旗のみが文字通り暫定的に使用され、最終的に現在の国章に決まって今に至っています。

国の形が変わると共に国章が何度も変更されてもその土台となる横三色旗が変わらずあり続けるのは、長大な歴史と独立を守り続けたエチオピアの人々の誇りと気概を感じさせられます。現在エチオピアも新型コロナウイルスによって苦しみ、また国内外に厳しい状況を抱えていますが、調和と平和を取り戻す時が必ず訪れると信じ、またそうなる事を確信してエチオピアとエチオピアの人々を応援して参ります。

埃と花

エチオピア航空で約17時間を掛けて、現地時間朝7時過ぎに首都アディスアベバのボレ国際空港に到着、宿泊先のホテルにチェックインの後、その日の午前中に最初の訪問先のバラ農園に向かいます。日中の移動の殆どは車で、多少は徒歩で移動しますが、車道や歩道の隅に結構な量の埃や砂埃を見掛ける事があります。

道端に埃が溜まり易いのはむしろ当然で、アディスアベバは町全体が建設ラッシュの最中にあり、建設現場から掘り返した土や建材などから砂や埃が出やすくなっています。また高地特有の乾燥した気候に加えて1年の3分の2が乾季でもある為、どうしても街中は埃っぽく感じる事があります。

そんなアディスアベバの環境美化に取り組もうと、最近では多くの市民が参加して市内の掃除に乗り出しています。驚いたのはアビー・アハメド・アリ首相も箒を手にして市民と一緒に清掃活動に参加している姿をSNSの動画で見る機会があったことでした。私の拙い記憶で言えば、アフリカ諸国の首相や国家元首で首都の清掃活動に参加していたのは、今の所アビー首相だけではないでしょうか。

以前にも、このブログでご紹介しましたが、アディスアベバの名前の意味は「新しい花」となります。急速な近代化を進めるアディスアベバが世界的な大都市として新しくあり続けると同時に、清掃が行き届いた花の様な綺麗な都市となる、この新しさと美しさの両立は大変難しいと思うと同時に、列強の脅威から独立を勝ち取ったアフリカ唯一の国家の誇りによって、案外成し遂げられるのではないかとも思う次第です。

船旅

昨年初めから1年以上自粛に自粛を重ねて泊りの旅行に出られずそろそろ・・・と思った時に、そういえば船旅をまだ経験していない事にふと気付きました(この題名で書くのも何ですが)。そもそも船での旅行どころか水上タクシーや対岸を結ぶ連絡船、下手をすると大きな公園の池にある様な手漕ぎボートも含めると、今の所人生で船に乗った回数は両手の指で収まる程度です。

では何故船での旅行について書いているのかと言うと、個人的に数年ほど前から船旅に対する興味と、船に乗る事に対する自信?が出て来たからです。前述の数年ほど前に何があったかと言うと、ある団体に所属していた時の付き合いで東京湾に遊漁船でアジ釣りに出た事があります。付き合いとはいえ船に乗って船酔いになりはしないかという強烈な不安と、バラエティ番組でタレントが船酔いで見せる悲惨な姿を自分が再現するかもしれない、という恐怖がありました。

重い気分で船に乗ってアジ釣りのポイントに到着するまでの間、想像以上の波の高さで、船の上でかなり揺すられましたが幸い最後まで船酔いが起きませんでした。肝心の釣果も、ド素人の釣り針に引っ掛かってくれた間抜けなアジが2匹いたお陰でボウズにならずに済みましたが、その日の一番の成果は、自分には船酔いの耐性がある事に気付いた事です。

尤も今の状況が落ち着くのにもう暫く時間がかかります。何の気兼ねもなく遠出が出来る様になったならば、人生の新たな経験を求めてチャレンジしてみようと思っております。

継続一年

まだまだたったの1年、記念という訳でも大して目出度い訳でもありませんが、本ブログの掲載を始めて1年となりました。自分にしてはよくもまあ1年も継続して行う事が出来たと、ほんの少し驚いております。それも周囲が掲載の途絶える事を許さない、という圧力があったという事もありますが・・・。そういう外部からの協力?も物事を長く続ける為の秘訣かも知れません。

この1年を振り返って見ると、「楽な気持ちで書けばいいですよ」という一言をよすがとして、エチオピアの渡航経験から時事ニュース、日々感じた事や過去に体験した出来事を兎に角書き続けていました。ブログのネタがなかなか決まらず会社に一人残って原稿を書いている時など、「楽な気持ち」は何処かに消し飛んでいたものです。

尤も世の中には新聞コラムを始め1週間どころか毎日文章を更新している偉大な先達が、知名度の大小に関係なく世の中に数多居られる事を考えると、物事を継続する事は身体・頭脳で秀でた才能に勝るとも劣らない、もう一つの才能だという事を強く感じます。

これから先もブログのネタに詰まって、全く楽な気持ちではない事が続くかもしれませんが、天変地異でも起きない限りブログの掲載を継続して行こうと、一年の節目に思った次第です。

現代の井戸

「水を飲む時、その井戸を掘った人を忘れてはならない」ということわざがあります。これは調べてみると中国の故事成語の一つ、『飲水思源(いんすいしげん:水を飲む者は、その源に思いを致せ)』から来ている様です。

現代の我が国日本は、その人の済む地域のほとんどで上下水道が完備され、安全な飲み水が個人の家から店舗・商業施設に公共スペース、近所の公園に至るまで利用する事が出来ます。災害によって断水が発生しても、その直後から復旧活動がスタートして水の供給が可能な限り迅速に再開され、さらにその間にも給水車等による給水支援が必ず行われています。

我々の生活も商売も水が無ければ成り立ちませんが、水を利用する人々の大半は自力で飲み水を作り出す事が出来ません。安全が確保された生活は、今日に至るまでの間に社会インフラを作り出した人々と、明日以降もその社会インフラを整備し続け、災害等が発生すれば直ちに復旧に携わる人々のたゆまぬ仕事によって成り立っている事に対して、思いを致さなければならないと思います。水に限らず電気・ガス・物流の基本となる道路も同様です。我々が商売によって経済を回すのと同様に、飲み水一滴作り出せない我々に代わって水を提供する人々との相互協力で現代社会が成り立っていると強く感じます。

将来に向けて資源の無駄のない活用と、老朽化した社会インフラの維持と更新が大きな問題となっていますが、その解決の大本はかつての井戸を掘った人々に向けたものと同様の感謝でなければならないと思っております。

思えば長い付き合い

毎日マスクを身に付ける習慣を始めて、かれこれ1年以上が経過したと思います。昨年3月を過ぎた辺りから新型コロナウイルスの感染状況に危険を感じて、マスクを買おうと思ってもどこも品切れで、それから1か月以上経った後にようやく買う事が出来てから習慣として身に付いたと思います。

去年の緊急事態宣言が終わった後も、梅雨から夏の季節にかけての暑い時期もマスクを常用していましたが、コロナ前の生活様式からは想像も出来ない事だと思います。もし2019年にタイムスリップして当時の人々に、「来年から冬も夏も関係なく全員が毎日マスクを着用する事になります」と言っても、誰にも信じてもらえないだろうなあ、とそんな事をふと考えます。

今我が身を振り返って見ると、毎日行う様になった帰宅後のうがい・手洗いも冬場限定の習慣で、インフルエンザの予防接種も余り関心が向かない有り様でした。そんな姿勢が仇となり1昨年前に初めて感染してしまい、痛い目に遭ってようやく毎年の接種を心掛ける様になりました。今日のマスク・うがい手洗いの習慣も、感染によって自身が味わうだろう感染による苦痛と他の誰かに感染させた時の恐怖によって、習慣にする事が出来たと感じる次第です。

そして今日、ワクチンの接種を待ち続ける様になっています。アメリカではワクチン接種を完了した人は屋外でのマスク着用は不要との指針を発表しました。今の生活様式をこれからも続けて行くのか。いずれにしても感染しない為の行動は続けなければならないと思っております。

前期弊社の(総)決算

毎年3月末に期末を迎えるインパック株式会社は、今年も新年度54期のスタートを迎えると同時に、前年度53期の決算整理がスタートします。新年度と共に始まる母の日商戦は既に終わりましたが、決算を担当する総務経理課は5月末までその業務に当たります。

前期1年間のインパックの活動を財務や損益上の数字の動きから見直す事で、あの時にはこんな事があった、厳しい時期にはこういう対応をして乗り切った、と言った事を思い出しながら数字の動きを見直しておりました。特に昨年3月から発生した新型コロナウイルスによる今まで経験した事の無い状況と、自粛によって思った活動が出来ない、活動がなかなか結果として反映されない、ではどのように対応したか、どう行動するか、これらの事が数字によって如実に表されていました。

今年度からスタートした第9期中期経営計画は、前回の中期経営計画、とりわけ前期を振り返りバイオマス原料を始めとする環境保護に立った包装資材の販売や、デジタルの導入による社内体制の改善・ECサイトの確立などの活動計画を数値目標と併せて推進を行っています。

我々の活動の結果は必ず数字によって反映されます。計画通りに進む時も、上手く行かない時も数字によって表されます。結果としての数字を現実として受け入れ、真摯に向き合う事で様々な打ち手や突破口などの糸口を掴めるのだと、今回の決算に携わって感じた次第です。

〇〇〇ショック

現在世界中で木材需要の急激な高まりによって木材の相場が急騰し、住宅などの建材確保が争奪戦の様相を呈しています。そんな状況が「ウッドショック」と呼ばれているのを最近のニュースなどで知りました。

世界中を揺るがす大きな混乱や危機的状況を、その原因となった単語の後に「~ショック」と付けて呼ばれていますが、過去に例を見れば「ニクソンショック」があり、その直後に「オイルショック」、10数年前なら「リーマンショック」があり、昨年より続く混乱状況は「コロナショック」と呼ばれている様です。

つい先日スエズ運河で発生した座礁事故も数日で解決したものの、短期間で発生した国際物流に対する影響の大きさを思い返すと、もし座礁事故がより長期間に渡った場合もしかしたら「スエズショック」などという名称で、経済や国際物流の歴史の中で語られる存在になったかも知れません。今の状況は自分自身の身の回りから世界全体に至るまで何が起こるか分からない、「一寸先は闇」の様に思ってしまいます。

そんな状況の中に身を置いていると改めて認識して、あらゆる想定や可能な限りの備えを日々養い続ける事を求められているのだと感じる次第です。

やけに暑(熱)かった母の日

8日と9日の母の日に、1年振りに都内の生花店を見学して参りました。昨年は緊急事態宣言が全国で発令された中で営業の自粛や外出そのものが憚られた為、自宅近くの量販店花売場を見る事しか出来ませんでした。もっとも今の状況は昨年よりも明らかに厳しい事もあり、マスク!手洗い消毒!3密回避!を普段よりも徹底しながら拝見しました。

8日にユニクロさんが運営している銀座の「UNIQLO TOKYO」でお花を販売している「UNIQLO FLOWER」を拝見しました。1束390円の花束を始めカーネーションを中心とした母の日用の花束やブーケの販売を行っておられ、11時の開店直後からお花を買い求めるお客様で人だかりが出来ていました。

また品川駅では青山フラワーマーケットさんのエキュート品川店も様々なお花を沢山並べておられ、こちらも多くのお客様がお花を買い求めていました。品川店の様子は翌日のがっちりマンデーという番組でも儲かる駅ナカビジネスとして紹介されていました。

母の日当日は新宿駅内の駅ナカ店舗を見学しました。人の往来の多い新宿駅の商業施設でも一部自粛となっていたものの、幸い生花店は食品フロアと共に販売を行い、昼から午後の時間より足を止めてお花を買い求めるお客様が増えているように感じました。

池袋駅では百貨店の一部自粛で開いていない店舗もありましたが、その分駅構内で販売している店舗の他、自粛したお店が同じく駅の中で臨時店舗を構えて販売を行っていました。昨年は見学していないので比較は出来ませんが、例年の母の日の賑わいであったと思います。母の日という大きなイベントの後は日常に戻りましたが、これからも多くのお客様が贈り物だけでなく、生活と家庭の中を彩る為にお花を手に取って頂くべく仕事をしなければならないとの思いを新たにしました。

そして皆様もご存じと思いますが、母の日当日は各地で真夏日を記録した暑い一日でした。そんな日にジャケットを羽織って外出などするものではないと、多少の後悔と共に帰宅の途に就いた次第です。