母の日とその後

明後日に迎える母の日は、花業界にとって一番のイベントと言っても過言ではなく、全ての関連する業種の皆様がお花を贈る人・受け取る人に喜んで貰う為に、母の日が終わるまでの間忙しく働いておられます。弊社も同様にゴールデンウィークの間は後日の休みを予め設定して出勤し、また外部の方々にご協力頂いてお客様にお送りするアレンジやブーケを制作しておりました。

私自身インパックに入社するまで母の日は何かの決まりの様にカーネーションを買って母親にプレゼントする日という認識でしたが、この20数年は花業界の嵐の様な忙しさを身をもって経験しました。例年お客様が手に取るまでの商品がどの様にして輸送・加工・販売されるか、その過程の様々な苦労やトラブルなども目の当たりにし、或いはトラブルの渦中に入る事もありました。

そして母の日が終わった後は、それまでの忙しさや慌ただしさ、当日のお店や売場の賑わいが何もなかったかの様な状態に変わります。繁忙期に対する閑散期という言葉の通り、何もないという訳ではありませんが、静かと言うか、穏やかな空気感を感じ、その度に今年も一つの大きなイベントが終わったのだという実感と共にこれを乗り切った皆さんへの感謝を新たにしております。

母の日が終わり、6月が過ぎて、7月にお盆を迎えます。母の日を乗り切った花業界の皆様が十分な休息を取り、英気を養って次の繁忙期を万全の状態で迎え、且つ今の厳しい社会状況が少しでも改善に向かっている事を強く願っております。

兵站

インパック株式会社の仕事は、切花の包装資材「スリーブ」の製造販売、生花の加工機械の輸入販売、その他関連資材の販売の他、自社で加工した切花の出荷販売などとなります。お客様に対する販売という行為は、補給という行為と同じ様に感じます。さらにそれを行う為には全国の花業界のお客様が求める「必要な物」を、「必要な時」に、「必要な量」を、「必要な場所」に届ける物流を欠かす事は出来ません。

こうした物やサービスを適切に提供する行為を「ロジスティクス(物流管理)」と呼び、その起源は我々民間のビジネスの歴史よりもさらに古い、軍隊における「兵站(へいたん・ミリタリーロジスティクス)」にあると言われています。戦闘に勝つ為には強い兵士や武器を揃えるだけでなく、兵士が力を発揮出来る為の管理(食事・健康・衛生・福利厚生その他)や使用する装備の維持管理の為に行われる補給・輸送・整備の行為やこれらに対する分析・研究開発・教育を含めた全てが兵站として一括りに扱われている様です。

物を運ぶ・サービスを提供する行為は、ともすれば会社とお客様との関係性のみに目が向く事がありますが、お客様に提供する商品を製造又は輸入する為の原料や仕入商品の発注から輸送、到着した物の維持管理があり、さらに会社内での各部門間においても様々なものの輸送や管理は当然発生します。そして物を運ぶだけでなく、求められる時間と量と場所に届く事によって受け取った相手が満足を得られる、運ぶという行為は単純だが極めて重要かつ様々な活動の基本である事を認識しなければならないと思います。

そして時代の変化と共に物流の姿も大きく様変わりしています。物やサービスを受け取るお客様の要求に応え続けなければなりません。難しく厳しい要求ですが、それはよりよい社会への進歩と環境を保護する為の、全体の幸福に繋がるものと捉えて行って参ります。

最後の出張から2年、出張の中止から1年

新型コロナウイルスの全世界での感染拡大により、海外への渡航と海外からの日本への入国がほぼ出来ない状況が始まって1年以上が経過しました。航空業界・旅行業界並びに関連する業種の方々が負わされる経済的・心理的な苦境と心労を思うと、1日も早くこの状況が終焉を迎える事を一層強く願わずにはいられません。

弊社は昨年2月末に商談と新規開拓を目的としてエチオピア出張を予定していましたが、万一未知のウイルス感染に至った場合のリスクを考慮して、その当時は延期として様子を見る事としましたがその後の世界中の渡航禁止により中止となりました。最後にエチオピアに訪問したのは2019年の8月で、2年近く現地を訪れておりません。

感染拡大の影響下でも仕事を続けて経済を回さなければならない状況の中で、在宅勤務の推進や外部の商談にオンライン会議が幅広く導入されて、外に出る機会が無くとも仕事を行う環境が加速度的に進められています。しかしながら実際に行かなければならない状況は確実に存在し、感染が終息を迎える暁には新たに導入したビジネススタイルを維持しながら以前の方法も併存して行う、所謂ハイブリッドの様な形で行われるのではないかと思います。と言うよりもそうでなければ現実にウイルスによって苦しむ業種がある事を考えれば、経費の削減に繋がったと単純に言えるものではないと思います。

現状ウイルスの対抗策は接種が始まったワクチンの他には、今まで通り個人々々の感染防止の行動以外に無いようです。耐えるばかりの日々に多くの人々が疲れ、うんざりしていると思います。それでも終わりが、夜明けが来る事を只管信じて今出来る事をやり抜く所存です。

※掲載している画像は一昨年8月のエチオピア出張で撮った写真です。現地のトリさんと、小さいですがアディスアベバ・ジブチ鉄道の列車、そして広大な湖に見える画像は、雨季の長雨で生じた巨大な「ただの水溜り」です。乾季の頃には干上がります。

運動のすゝめ

何を隠そう、と言っても全く隠す様な事ではありませんが毎日運動を行っております。と言うよりもどうにか続けてやっています。朝と夜にスクワット・腕立て伏せ・上体起こし(腹筋運動)を行った後、外でウォーキングとランニングを織り交ぜて1時間弱行っております。

どうにか続けて、と言うのは色々な物事の継続にとっての大敵となる怠け心で、何かに理由を付けて「今日はいいや・明日やろう」と1日2日とサボり始め、気が付けば惰眠をむさぼる怠惰な己に気付いても何も感じない、という事が何日も続き、再び運動を始める為に無駄な時間を費やすと言った事を繰り返していました。

今は「これを1日でも辞めたらダメになる!」という強い意志、と言うよりも強迫観念で運動を日課にする努力を何とか維持しています。サボる一番の理由となる悪天候も、むしろ「運動を行うには格別の天気!」と(無理矢理)思う様になり、レインウェアを羽織ってちょうど一昨日の様な大雨の中を駆け出し、水溜りでランニングシューズからソックスまで水浸しになろうと、運動が終わって帰って来る頃には、疲労感と同時に多少の達成感もあって、案外心地よく感じられる様になっています。

体力錬成と筋肉質の身体を目指して続けているこの運動で、目指す理想の身体に到達する日はまだかなり先だと思います。そしてこれから先、どうにもならない理由で運動出来ない日があったとしても、また気持ちを切り替えて続けて行こうという意識も次第に湧き上がって来るのを感じております。健康とモチベーションの維持の為にも怠け心と付き合いながら続けて行こうと思います。

新年度 希望を持って ご用心

新年度がスタートして既に1週間が経過しましたが、社会は未だ容易ではない状況が続いています。新型コロナウイルス一つを取って見ても、感染拡大が続き「第四波」が現実味を帯びてきている状況です。

弊社の事業においても海外から原材料や商品の仕入れを行っている事もあり、最近の円安・原油高・コンテナ不足によるスケジュールの不安定化や海上運賃の上昇など、弊社同様に海外との取引を行っている企業の皆様にとっても、今の状況は厳しいものではないかと思います。春を迎えているはずですが、いささか向かい風が強く涼し過ぎる様に感じてしまいます。

しかしながら我々はスタートした時は展望に明るさが見えない前年度を乗り越えて今を迎えています。苦難や逆境を乗り越えたという確信をもって前へ進み続けているのです。苦しい時期は我々を鍛え、新たな商品開発やビジネスを手にする機会を与えてくれました。新たな苦難や逆境が待ち構えている前途に、改めて情熱と勇気をもって進んでいきましょう。今の状況が続くとしても終わりを迎える時は必ず来ます。希望を常に持ち続けて、明るく前に進みましょう。 感染拡大が続く状況も、昨年から各々が行って来た感染防止の対策によって自分自身を、家族を守り続ける事が出来ます。不自由を我慢し続けて頂く事に大変申し訳なく思いますが、これからも抜かりなくまず自らを守り続ける事を行い、そしてインパックの使命と目標に向かって、改めて情熱と勇気をもって、希望を胸に用心しながら進みましょう。

53期の感謝

2020年度、令和2年度、インパック株式会社にとっての53期は今までにない苦難と試練が続いた年度として記憶する年度であったとの思いを強くしております。

新型コロナウイルスの感染が全国的に拡大する状況とともに53期がスタートし、4月16日の緊急事態宣言発令による影響は翌月の母の日を迎える我々にとって、スタート直後に大きくダッシュするつもりが派手に転倒する様な事態をもたらしました。

お盆と秋彼岸の繁忙期が3カ月に渡って続く第二四半期で取り戻しを図ろうとしていた矢先の7月1日にレジ袋有料化が始まり、同じ材料を使用した主力商品の一部がほとんど売れなくなりました。環境保護、CO2削減の重要性やそれらが将来に必要な事であるとは頭で分かっていても、現実の数字を積み上げられない状況に焦りや不安が膨れ上がり、気が気でなくなる事もありました。

そんな中にも関わらず社員・パートの皆さんは感染のリスクを抱えながらも日常の仕事を行い、行動が制限された中でも出来る事を十分以上に行ってくれました。脱プラスチックの流れに対し、石油原料に拠らないバイオマス原料を使用した新しい包装資材を開発・商品化して、既に活動を行っています。我々にとってマイナスに働くと思っていた状況を新しいビジネスチャンスに変えてくれました。花の部門も将来の数字の積み上げに動いています。能登事業所や各部門の皆さんの活躍もありました。ここに至って、53期の苦難と試練は単に我々を苦しめただけでなく、我々を鍛え工夫を凝らす機会を与えてくれたのだとの認識を持つに至りました。

そして昨日54期がスタートしました。厳しい状況に変わりはなく新たな苦難がこれから我々の前に立ちはだかるでしょう。しかし53期の活躍はこれからに向けての確かな一歩を残しました。自らを鍛え、工夫を重ねる事を怠らず、自信をもって前へ前へと進んで参ります。気付きと機会を与えてくれた53期への感謝を胸に、インパックの更なる成長と発展へと繋げる所存です。

当たり前が無くなるかもしれない明日

一昨日の24日にスエズ運河において巨大なコンテナ船が文字通り運河を塞ぐ様に座礁した姿を見た時は驚き、まさかこの様な形で運河が閉塞して使い物にならなくなる事故が発生するとは想像もしませんでした。

既に運河を通行しようとした数多の貨物船の運航が滞り、届くべきものが届かなくなる影響はどれだけ運河の通過が早く再開されるとしても、その影響はしばらくの間続く事を覚悟しなければならないと思います。様々な物の価格や相場は既に高騰しているとも聞いております。

今現在の我々の生活でありビジネスは多くの人々の働きによって成り立ち、また長い年月をかけて築き上げた巨大なインフラも我々の生活の下支えをしてくれています。

我々はこれらが生み出す恩恵を当たり前の様に享受し、時に当たり前であるからこそ、その存在を忘れ感謝さえも忘れてしまう事を、今回の事故を目の当たりにしてようやく気付いた様に思います。

感謝の気持ちを保ち続ければ事故は起きない、と言うつもりはありませんが、これらのものがある日無くなる、機能しなくなる、という事は10年前の大震災で経験していたつもりがその事を忘れていた様に感じます。 いつか来るかもしれない「その日」が来るまでに、今まで以上にあらゆる物事に感謝の気持ちを改めて保ちながら、危機感と可能な限りの備えを怠らない様に心掛けて行動しなければなりません。

十年前の3月11日(後編)

線路を歩いて代々木駅に到着した時、当時改札を出てすぐの正面に(今もあるかは分かりませんが)大型の液晶ディスプレイが設置されていて、その画面にNHKの特別編成の地震報道が流されていて、各地の津波の高さの表示を見て「これは本当にえらい事になった」との思いを強くしました。そしてJR・私鉄の運航中止により徒歩での帰宅を決めました。

現地の土地勘がほぼ無かった為、先ずは自宅に向かう一番確実なルートとして新青梅街道を目指す事にしましたが、「とりあえず北に向かえばいいだろ」と簡単に思って歩く内に住宅街に迷い込むなどあったものの、何とか街道に辿り着き自宅に向かって歩きました。

日が傾き夕方の頃合いには私と同様に歩く沢山の人が歩道を占め、車道の渋滞で低速で進む満員の路線バスと追い越し追い越されたりしました。街道沿いの自転車店を何件か通り過ぎる度に「自転車を買って乗って行こうか、いやいや買った後で乗らない自転車が増えるだけだ」としょうもない葛藤を繰り返していました。

空腹を抱えて西武線の田無駅まで到着し、そこで夕食を摂りました。駅の構内に行って見ても当然電車は動いておらず、構内の銀行支店が休憩スペースとして開放され10人位の人々が休憩していました。

取り敢えず自宅に連絡しようと思い、公衆電話で両親と話した所「迎えに行ってやろう」という有難い申し出を即頂きました。ただし「渋滞がひどいのでお互い向かいながら落ち合う」という事になり、疲労の溜まった足を動かし歩き出しました。

早く帰ろうという気持ちが逸ったのか、今思うと代々木から田無までの行程が明らかなオーバーペースと日頃の運動不足で、歩いている内に両足に痙攣が起こり、ふくらはぎがつり始め、膝が笑うどころか爆笑が止まらない様な状態となり、とうとう1時間位歩いた先のコンビニエンスストアの前で座り込んでしまいましたが、幸運にもその直後に迎えの車と落ち合う事が出来ました。自宅に到着した時、時刻は11時を迎えようとしていました。

十年前の3月11日の家路を辿る苦労話など、被災された方々のご苦難に比べればどうという事もない話ですが、この時の経験のお陰で私は東日本大震災の災禍をこれからも忘れず、そしてこれより起こるかもしれない地震への心構えを保つ事が出来ています。

十年前の3月11日(前編)

昨日は東日本大震災の発生から節目の十年を迎え、政府主催の慰霊祭を始め全国で亡くなられた方々への鎮魂の祈り、被災地の復興、そして被災地で住まう人々の幸福を全ての国民が祈り、願う一日でした。

十年前のあの日、午後2時46分に全ての人が地震に遭遇し、想像を絶する被害の光景を目の当たりにしました。私もその一人で地震に遭遇した後どの様にあの日を過ごしていたかをこの場で思い出しながら記したいと思います。

2011年3月11日の午後、その日私はある社外の用事で世田谷区の駒澤大学にお邪魔しておりました。とある方への依頼も無事終わり同行頂いた方と現地で別れ、とりあえず会社へ戻ろうと思い東急の田園都市線で渋谷に向かい山手線に乗り換えました。

そして山手線に乗ってから原宿駅を出発して間もなく、車内に「緊急地震速報を受信したので緊急停止する」旨のアナウンスが流れた直後、車両が激しく振動しました。停車する直前にバウンドする様な揺れを感じた様に思います。

停車した後の社内は私を含め全ての乗客が息をひそめて誰も話をしていませんでした。かすかに聞こえるのはスマートフォンで地震の情報を確認している方々から「東北で地震が・・・」、「大津波が発生・・・」という小さな話声で、当時スマートフォン持っていなかった私はどうやら大地震が東北で発生したようだ、というぼんやりとした感覚があっただけでした。

その後社内に閉じ込められている間に2回目の地震が発生、ちょうど目の前に20階以上の大きなビルが見える場所に止まっていたのですが、そのビルが悪い冗談の様にゆらゆらと揺さぶられているのを目の当たりにして、事の重大さを思い知らされました。

停車から1時間以上経過した頃、JRの職員の方が車両のドアを外から開けてドアにはしごを掛けて降りる手伝いをしてくれました。全ての乗客が線路上を歩いて代々木駅に向かう列に私も加わっていました。車両内に1時間以上カンヅメの状況にあったその時の私は、「渋谷で乗る前にトイレを済ませておいて良かった」などと軽い気持ちでいましたが、それが都内の全路線がストップした中での長い家路の始まりでした。

(続きます)

過去の変え方?

「過去と他人は変えられない、変えられるのは今と自分」とは、色々な場面で聞いた言葉ではないでしょうか。私自身も指導を受ける場面でお聞きするだけでなく、各種媒体でも耳目に触れる様になったと思います

過去は既に終わった事で最早変え様がない、自分以外の人達も思い通りにはならず変わってくれる事はそうそう起こり得ない。であればどうする事も出来ないものにいつまでも拘らず、自分自身と今の環境を変え続ける事に注力する、脇目も振らずに自分を鍛え磨き続ける事が道を拓くことに繋がる、そんな風に理解しています。

そんな時に、ごく最近とある方の講演というか講話をお聞きする機会がありました。その方の半生は天にも昇る様な成功から、奈落に落ちる様な失敗を経て自分の本当にやりたい事に気付き、やりたい事を新たな仕事にして突き詰めた生活を始めると、貧しい暮らしも自分の仕事のネタに変えられるほどに前向きになったそうです。

そしてその方が気付いた自分の辛い過去の変え方、正確には過去を変える、という事ではないのですが、要は「過去は変えられないが、過去に対する捉え方は変えられる」というものでした。

この話には私自身も同意とともに案外思い当たる事があり、過去の海外出張で今考えると割と酷い目にあった(そのほとんどは間違いなく自業自得ですが・・・)のですが、時間が経つに連れて客観的に振り替えられる様になり、今となってはそんな酷い思い出も酒席でのちょっとした笑い話で場を盛り上げる事に役立ったりしています。

過去への捉え方を変えられれば、自分自身と進む道を明るく照らし、楽しいものに変えられるかもしれません。